出会い喫茶で出会ったふたりに生まれる 不思議な友情
キャバクラで働いていた琴音(20)は、コロナ禍で店が休業、一緒に住んでいた男に家財を持ち逃げされ、家賃を払えなくなり、行き場を失ってしまう。そんな中、知り合った楓(21)の紹介で出会い系喫茶に出入りする様になり、男性客とパパ活をすることで日々を切り抜ける生活をしている。
おかしな客に絡まれたりネット上で中傷をされたりしながらも、あっけらかんと逞しく生きている琴音は、あることがきっかけで、同じ出会い系喫茶でパパ活をする大学生のさくら(20)と出会う。
性格も育ちも自分とは正反対。生まじめで何事も重く受け止めてしまうさくらと琴音は不思議とウマが合い、友情を深めていくのだった。
体目当ての矢田(42)、出版社の社長でパトロンでもある清岡(36)、容姿端麗なダンサーの木村(28)ら軽薄な男たちと、生活のため、ホスト狂いのため、学費のため、各々の理由でパパ活をする女性達の対比で物語は進んでいく。
※順不同、敬称略
これ以上ないリアル。
売春の先のシスターフッド 。
マジックミラー越しに女を吟味し、金で身体を買い支配しようとする。
しかし彼女達はするりとその手から抜け落ちて渋谷の街を駆けて行く。
佐々木チワワ
(ライター)
コロナという病は、女たちと男たちの剥き出しの生を露出させ、自らの生存価値に対峙できるアリバイとなった。ウイルスが消えないうちに、キャンディがなくならないうちに、女たちはまるで刹那の生を謳歌するカゲロウのようだった。
ヴィヴィアン佐藤
(ドラァグクイーン・美術家)
100年近く前の昭和初頭に銀座のカフェーを舞台に繰り広げられた女給たちの愛憎模様が、コロナ禍の渋谷でSNSや出会い系風俗店を使って「パパ活」に励む現代の娘たちの姿によって、みごとに甦った。してみれば、永井荷風が生きた時代と、われわれが暮らす今の日本の空気は意外なほど似通っているのだ。そのことに気づくとき、目の前の現実と過去とが繋がる歴史の符合に改めて驚かされる。これは、単なる風俗劇に止まらぬ重みを持った映画なのである。
寺脇研
(映画プロデューサー・映画評論家)
この映画の少女たちを逞しさなどという言葉で片付けてはならない。地獄味のロリポップは束の間の天国しかみせてくれないし、甘ったるいタピオカは胃の中で消化出来ない「絶望」だ。彼女たちにはとっくにこの世界の正体がバレている。今日もこの街で彼女たちとすれ違っている現実を私は決して忘れない。
斉藤陽一郎
(俳優)
女は母なる大地であり聖母マリアにも娼婦にもなりうると言ったのは誰だったか…彼女たちは己の傷の深さに気がついているだろうか。ただただ突き進む。それも青春というものであるならば、踏み出した道の先に一筋の光があることを切に願う。
山田キヌヲ
(俳優)
孤独の中でサバイバルする人びとの姿は熱くて人間くさい。
それはきっとこの作品が、山嵜監督が贈る、正解なき人生を生きる人びとへの賛歌であったからに違いない。
平松恵美子
(映画監督・脚本家)
琴音が"逞しく"生きる度に、私は小さく緊張する。
いつすれ違っていてもおかしくはない彼女たちに、私は今日も気付かず街を歩いている。
映画がラストに向かう中で、突きつけられる一枚の壁。
その存在があまりにも大きく見えて忘れられない。
カーテンで仕切られたその奥で、互いに知り得ることのない現実が渦巻いている。
上村奈帆
(映画監督・脚本家)
貴方の隣りに必要なのは…居心地のいい人?見た目のいい人?話を聞いてくれる人?お金をくれる人?
コロナ禍が舞台ではあるが、今も、これからも、誰にでも起こり得る物語。
“生きるために私なら―”覚悟して観るべき傑作!
ウエダアツシ
(映画監督)
2000年代初めのロウイエ監督を彷彿させる快作。肌感溢れる人への想いと無機的な現代との調和が良い。ストーリーに沿って主演の高橋ユキノさんが魅力的に成長していくドキュメンタリーでもある様におもえる。スクリーンでダイナミックな映像をご堪能ください。
芦澤明子
(撮影)
ガツンときた。力強い映画だ。
ドキュメンタリーみたいな生々しさと、凛とした透明感が混じり合った世界に、惹き込まれた。傑作!
琴音とさくらの生きる姿が、リアルで力強くて悲しくて、心をグイグイ掴まれた。名演!
土屋哲彦
(映画監督/ディレクター)
誰にも等しく訪れたコロナ禍。あの時間を“過去”にできている人もいれば、 “過去” にできなかった人、今も乗り越えられずにいる人がいるのかもしれない。人生において交わることがないであろう他者に思いを馳せる、日常では得難い稀有な時間を得た。
ミヤザキタケル
(映画アドバイザー)